今年は通学は無理なので、気功の学校の通信講座を受けています。
講座では、まず初回に自分が気功をしながら叶えたい願いを立てるのですが・・・
それがなかなか出てきません。
何々が絶対欲しいとか、これを叶えたいというような、強い望みは自分にはないなぁーと思っていたから。
それでもなんとか搾り出して、書き出してみると現実的な望みもでてきて、
先生がこのような文にしてみたらどう?と書いてくださった文章を読むと、ワクワクする自分がいました。
書いて、からだで感じてみることの大切さを実感しました。
一度アウトプットして、また改めてからだにインプットすると自分の本当の願いかどうかがわかります。
その中で、わたしが一番自分の中で引っかかっていた願いがありました。
先生にも、それは少し無理があるし、曖昧な表現に感じますと感想をいただきました。
「願い」ではなく、「ねばならない」or「こうした方がいいにちがいない」 だったのかもしれません。
それは自分が「良い」とおもっている”自分のフィルター”だったみたいです。
いまだに、そのひっかっかりが何なのか、もやっとしたままですが、とにかく「自分フィルター」のお掃除をしてみようと思ったのです。
そうしたら、その願いが何であったのかわかるかもしれない。
自分への宿題です。
ありのままをありのままにダイレクトに受け取る練習。
ありのままに見て、ありのままに聴く。
感情や反応が出たら、ありのままに出して流してゆく。
出てきた反応や感情を自分の想像や思い込みで膨らませ、現実を引き寄せないために。
からだや感情の滞りが出やすい梅雨の時期だからこそ、自分のフィルターが浮き彫りになって見えやすいのかも。
風通しの良い気持ちよい自分でいるために、エアコンのフィルターのように
自分のフィルターのお掃除もしたい。
そして、フィルターについて気づいたことは
家族や学校、社会から知らないうちに身についたものもあるけれど、自分が望んで学んだ知識や、
信頼できる人から入ってきた言葉(格言とか、メッセージとか)なども実はフィルターになるということ。
今、あたらしい事を学びたいと思っているので、「それが、またあたらしいフィルターになるのでは?」と疑問を感じたのですが
フィルターになることもありえる。ということを充分知った上で学ぶのであれば大丈夫だと思いました。
絵に描いた餅はやっぱり食べないと味がわかりませんからね^^